1948-12-04 第4回国会 衆議院 人事委員会 第1号
上野陽一氏は、当年六十六才になられるのでありますが、明治四十一年東京帝國大学文科大学本科を卒業し、大正十年欧米における労働者の労働状況調査のため海外に出張し、帰朝後日本大学講師となり、能率増進に関する講習、能率調査研究等の仕事に当つておりましたが、昭和四年パリにおける第四回國際管理法会議に日本代表として出席し、さらにアメリカ産業視察團團長となり、アメリカ産業の事務能率を研究視察して帰朝いたしました。
上野陽一氏は、当年六十六才になられるのでありますが、明治四十一年東京帝國大学文科大学本科を卒業し、大正十年欧米における労働者の労働状況調査のため海外に出張し、帰朝後日本大学講師となり、能率増進に関する講習、能率調査研究等の仕事に当つておりましたが、昭和四年パリにおける第四回國際管理法会議に日本代表として出席し、さらにアメリカ産業視察團團長となり、アメリカ産業の事務能率を研究視察して帰朝いたしました。
次に上野陽一氏は当年六十六歳になるのでありまするが、明治四十一年東京帝國大学文科大学本科を卒業し、大正十年欧米における労働者の労働状況調査のため、海外に出張し、帰朝後日本大学講師となり、能率増進に関する講習、能率調査研究等の仕事に当つておりましたが、昭和四年パリーにおける第四回國際管理法会議に日本代表として出席し、更にアメリカ産業視察團々長となり、アメリカ産業の事務能率を研究視察して帰朝いたしました